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卒塾生の横顔 Vol.1 鈴木清人(第5期 江東区議会議員)

咢堂塾・そして憲政記念館での学びを通して得られたこと。

私が咢堂塾の存在を始めて知ったのは、平成14年春。
地元・深川第六中学校の生徒さんを引率し、国会議事堂と憲政記念館の見学に訪れた時でした。平成11年の区議会議員選挙に初当選した私は、日常的な“どぶ板政治”の活動に疑問を感じ、地方議員の存在価値とは何かを考えていた時でした。
私の祖父、本多市郎は市会議員として尾崎行雄・東京市長に師事し、翼賛選挙の非推薦候補者の時も尾崎行雄の推薦一本で国会議員となり、世界連邦創設に向かって尾崎と共に権力に立ち向かった師弟の間柄でありました。入塾のきっかけとなったのは、この赤い糸を引き寄せてくれた深川六中の生徒諸君のお陰です。改めて感謝申し上げ、敬意を表します。


(写真左:本多市郎 右:尾崎行雄)


入塾して、先ず驚いたのは相馬雪香先生が軽井沢から毎回欠かさずに参加され、塾生と一緒になって一番前の机で熱心にメモを取られている姿でした。私の様な若輩が少し政治を知ったかぶりをし、議員として演説していること自体が、本当に恥ずかしく思えました。「誰でも最初は一人から」相馬雪香先生の卒塾式での言葉が思い出されます。相馬雪香先生から直に薫陶を受けられたことが私の宝物になりました。私は塾生として「自分の志、考え方をしっかりと確立することができたこと」が咢堂塾での最大の学びであったと感謝しています。

通う間、前後で「これが変わった」と感じること。

入塾時は自民党の区議会議員1期生でした。他党を誹謗したり、人生経験もまだ 浅い「ひよっこ」にも拘わらず、テレビの評論家の様に国家天下を論じていました。また、党の政策に疑問も持たず、党内での異論反論もない議員でした。言わば、自民党イズNO1と考えていました。政治が一番身近で庶民の為に、弱者のためにあることを忘れていました。当選することが目的になっていたのです。咢堂・尾崎行雄先生の63年間に及ぶ政治闘争を学び、改めて政治は誰のためにあるのかを考えさせられました。
尾崎先生の「二つのふせん」。「不戦」は立憲主義、平和主義の確立に繋がり「普選」は民主主義、真の議会政治の復活へ繋がる思想は没後64年たった今日でも最大の政治課題です。その先見性には本当に頭の下がる想いです。内閣や官庁や政党の為に政治があるのではなく、国民の為にこそ政治は存在する。勿論政党は必要ですが徒党を組んで数で押し切るのではなく、一人になっても正しいことを堂々と主張する勇気を塾から頂きました。

「正成が敵に臨める心もて我は立つなり壇上の上(S.12.2.17)」。
これは尾崎先生が死を覚悟して議場に臨んだ際、懐中に忍ばせた辞世です。



卒塾生として今後めざすこと、そして未来の後輩たちへの期待。

現在4期目の区議会議員として働かせていただいていることに感謝しています。少しでも世のため為、人のためになるよう、全力で働いて参ります。後輩たちにはマスコミなどの風潮に惑わされず、あらゆる角度から見聞を広げて頂きたい。誰が正しいかではなく、何が正しいかを見極めてほしい。そして先ず一人から行動を起こしてください。最初から徒党を組んで野合しても目標はバラバラです。運命は自ら招き、境遇は自ら造る。常に希望に向かって立ち上がってください。うまく行かぬから望みを失うのではなく、望みをなくすから崩れていくのです。末尾に後輩の皆様のご活躍を心より期待しております。
「人生の本舞台は常に将来に在り」を心に秘めて。


(手話推進議員連盟(仮称)の発足会にて)

江東区議会議員 鈴木きよと(https://ki410suzuki.jp/)