HOME > 咢堂コラム > 006 手が白く且つ大なりき

Yukio Ozaki and his daughter
("Yukio Ozaki and his daughter" Yousuf Karsh,1950)

2017.5.5

「手が白く且つ大なりき非凡なる人といはるる男に会ひしに」



冒頭の短歌は、大正時代の歌人・石川啄木がある人物を詠んだものです。

その人物は生粋の歌人ではありませんが、啄木の一回り先輩世代の与謝野鉄幹・晶子夫妻とも交友がある。
更には、二十歳を前に著述家として一定の名声を手にしていました。
恐らくは文筆家として、啄木も自身初の詩歌集『あこがれ』に献辞を寄せたのでしょう。

一説によると、その刊行にあたっては短歌でも読んだ「非凡なる人といはるる男」に啄木は出版の助力を願ったと言われています。

男は名刺に出版社への紹介文を記し、面識のなかった無名の啄木に与えます。
それがきっかけとなり同書は1905年(明治38年)、改造社より出版されることとなりました。
詩集の献辞には、男への感謝がこめられています。

もっとも、男の啄木に対する対応は決して懇切丁寧とはいえず、後に自らの著作でも当時を振り返っています。

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いつごろであったか、やはり、市長時代に、石川啄木といふ少年が、私を訪ねてきたことがある。
未知の人であり、別に紹介状を持って来たのでもなかったが、面会すると「○○(男の名)に捧げる」という歌稿を示した。
恥しいことに、そのころ私は歌について全然無趣味で、石川啄木がどれだけの詩才をもってゐたかわからなかった。
何でも、歌などを作らないで、もっと有用な学問を勉強せよと、小言を言って帰した。
それから幾年かたって、市長を辞めたころ(明治45年6月。啄木はこの年の4月13日に死亡している)、朝日新聞紙上で「天才歌人、薄命の歌人、石川啄木」といふ記事を見た。

手が白く 且つ大なりき非凡なる人といわるる男と会ひしに

といふのは、私を詠んだ歌だといふことである。
今から考へると、あれだけの天才歌人に接しながら、なぜもう少し親切に待遇しなかったのかと、後悔の念が浮む。

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果たして、男の正体はいかに。