2017.3.26
「咢堂が語る弟・行隆」
尾崎行雄の書籍は当財団でも何冊か復刻を行っていますが、過去の著作に関しては「Google Books」などでもお読みいただけます。
尾崎行雄が家族に触れている著述はそれほど多くなく、最初の夫人・繁子や後の夫人・テオドラ、またわが子については幾つかの書籍で目にすることができますが、弟の行隆に関する記述は殆ど見られません。
1937年(昭和12年)に刊行された『咢堂自伝』によると、保安条例により東京退去を命じられた尾崎は3年ぶりに上海から帰って来た弟の行隆を伴い、1888年(明治21年)1月31日に横浜港を発っています。
その後アメリカを経由して尾崎はイギリスを目指しますが、この渡航は行隆にとっても人生の節目となったようです。
文中の「ジレット氏」は、シャーロック・ホームズ役として有名を馳せた俳優、ウィリアム・ジレットです。
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「英国行」
4月の末には、ワシントンはにわかに暑くなった。ニュー・ヨークに引き返したが、やはり暑くて毎夜眠れない。私は、殊に暑熱に弱いため、とても耐えられなかった。そこで、早く欧州へ行こうと思ひ、弟をニュー・ヨークに置いて、単身大西洋を渡った。
逐客の身となっても、尚この行に、弟を伴うことを忘れなかったのは、弟を自分の好い秘書に仕立てたいと云う考えを持っていた為である。私の頭には、その頃-今でもそうであるが-経国済民の志望よりほかに何物もなかったので、弟をも私附属の政治家に育て上げようと考えたのである。ところが、弟は文学が好きで、米国に来ると、私の考えには頓着なく、文学方面に向かってしまった。
あるいは、兄貴はとても自分を秘書に使うほどの大政治家にはなれまいと、見切りをつけたのかも知れない。
そんな訳で、私の渡欧後も独り米国に残って、文学研究に精進し、やがては劇団に身を投じて、舞台に立った事もある。
後には、米国屈指の名優ジレット氏に付従し、一生米国で暮らす事になり、今日でもなお米国に居る。
畢竟私が弟を使うほどの身分になれなかった為であろう。
(以下略)
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血を分けた兄弟が異国の地で生活をしているという事実は、尾崎行雄の対米観にも少なからず影響を与えたものと思われます。
ワシントンに贈った桜や、90歳を過ぎてからの最後の訪米も、弟という存在を意識することで新たな意味が生まれます。
Google Books『咢堂自伝』
https://books.google.co.jp/books?id=sdgHL2dhEI4C