HOME > 咢堂コラム > 012 先輩がみた後藤新平

Yukio Ozaki and his daughter
("Yukio Ozaki and his daughter" Yousuf Karsh,1950)

2017.11.19

先輩が見た後藤新平


63年間に渡る国会議員生活の傍ら、尾崎行雄は第2代/第3代東京市長を9年間務めました。
尾崎は市長の在任中、政治腐敗の温床とされていた東京鉄道の市有化や、上下水道およびガスなどのインフラ整備、ワシントンへの桜寄贈など多くの事跡を残しています。

そうした尾崎にまさるとも劣らぬほど名が知られるのが、第7代市長を務めた後藤新平でした。
1920年(大正9年)から1923年(大正12年)までの4年間、市長の任に当たりましたが退任後の9月に関東大震災が発生、未曽有の被害を東京はじめ関東一円にもたらします。
直後に組閣された第2次山本内閣で、後藤は内務大臣兼帝都復興院総裁として震災復興計画を立案、市長時代の経験をもとに首都機能の復興に手腕を発揮しました。

ところで尾崎は、自身の著書『近代快傑録』の中で様々な明治大正期の人物についての論評を記しています。
同書では福沢諭吉や大隈重信、伊藤博文などの他、東京市長の後輩でもある後藤新平についても触れています。
以下は尾崎による後藤評の抜粋です。

 

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もともと伯(=後藤新平伯爵)は才が働きすぎるので、ともすると桁の外れた事を平気でやってのける。どうしてもこの悍馬は、善良な騎手がいて手綱をとらぬと、途方もない間違いを起こすことがある。
台湾では児玉(源太郎)将軍が手綱を取って、まことによく馭(ぎょ)して行った。
相馬事件などは、上に手綱をとるものが居らなかったため、ああいう途方もない失敗をしでかしたものと私は見ております。

私が東京市長の時分、市政腐敗の最大原因であった電車を買収して、革正の実を挙げる計画を立てた。その用事のため、よく首相官邸に桂公を訪ねた。
ある日、桂公が「まことに申し訳がないが、やむを得ぬ臨時の緊急事件が起こったからどうぞ五分ほど待ってくれ」と、たいそう慇懃に詫びをして、私を待たせた。誰が来ているのか聞くと、後藤逓信大臣だといった。
やがて用事がすんで、後藤君が帰って行ったとみえ、桂公は私を部屋へ通した。すると十分も経たないうちに、また「後藤逓信大臣がお目に掛かりたいと申して玄関に参られました」と取次が来た。桂公は笑いながら「あちらに通せ」と言った。
不思議に思って、「今、後藤さんは、帰ったばかりじゃありませぬか」と桂公に聞くと「いや、こういうことはたびたびある。あれはここを出て、自分の官邸に帰る途中、ひょっと何か考え出すと、すぐまたやって来る。一日のうちには、三たびも四たびもやって来ることがある。そのたびごとに新しい意見を持って来るが、三つ四つ持ってくると、一つ位は大層いい意見があるので、私はつとめて会うようにしている」と、笑って居りました。
後藤伯はなるほどそういう人かと、私は初めて桂公の口から彼の性格を知った。

要するに天才肌の人であります。あまり深くものを考えないけれども、霊感のようなものがパッパッと湧く。ところが、それを考えなしに実行に移すもので、ときどき頓珍漢なこともやる。
この時は桂公が手綱を取ったので失敗もなかったが、桂公亡き後は後藤伯の意気は大いに昂(あが)って、滅茶苦茶なところがあったため、その働きに欠点が段々現われてきた。残念なことです。
地震内閣(関東大震災直後の第二次山本権兵衛内閣のこと)の時には、山本権兵衛伯が後藤伯を内務大臣にして手綱を取りに掛かったけれどもこのときは後藤伯が偉くなりすぎていると同時に、山本伯が昔とは違って穏やかになりすぎていたので、手綱が巧く取れないで、却って後藤伯に引き廻された形が見えた。
それで失策が多くして成功がなかった。後藤伯配下の人々の中には、私の懇意な者が居る。鶴見祐輔君とか、長島隆二君とか、永田秀次郎君とかみな懇意にしているので、私はこれらの人々にいうた。
「上の方から後藤伯の手綱を取る人は、もう今の世の中にはいない。今度は、後藤門下の秀才の中から数人を選んで、その人達の協議によって後藤は働くということにすれば、後藤という人間は日本一流の人物として通用する」と献策したことがある。門下の人々も賛成したが、山本権兵衛伯の手綱にさえ従わない程偉くなっている彼ですから、門下の人々に手綱を取らせるなどということは、どうしても出来なかったとみえ、末路は甚だ寂寞(せきばく)として振わなかった。惜しいことであります。
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後藤新平といえば、現在の小池百合子・東京都知事も就任後の所信表明演説において後藤の「自治三訣」について触れ、また今年度の首都大学東京・入学式の式辞でも後藤の遺訓で結んでいます。

平成28年第三回都議会定例会知事所信表明
http://www.metro.tokyo.jp/tosei/governor/governor/shisehoshin/28-03.html

平成29年度首都大学東京入学式
http://www.metro.tokyo.jp/tosei/governor/governor/katsudo/2017/04/11.html


翻って、後藤の先輩市長でもある尾崎に関しては、特に触れられることも無いようです。
しかしほんの僅かでも尾崎の実務経歴や、長期に渡る市政の安定運営を参考にいただけたら、豊洲市場の移転問題やオリンピック開催に向けた様々な施策も違った展開になるのではないか。
そう願う次第です。



第2代東京市長・尾崎行雄の事跡
http://www.ozakiyukio.jp/mayor.html